【橋本左内】【焼け火箸(やけひばし)の話 】

左内が12歳のとき、同じ塾に通っている子がけがをした。日頃から左内のことを生意気なやつだと思っていたいじめっ子が、左内に「医者の子どもなら治してみせろよ」とせまった。

左内は「よし」と熱した火箸をもってきてけがをした子の傷口に当てようとした。それを聞いた塾の先生があわてて止めに入った。

理由を聞かれた左内は「僕はまだ切り傷の治療法は知りませんが、やけどの治療なら知っておりますので」と平然と答えてみんなをびっくりさせた。


【橋本左内】先生の【ホームページ】

【橋本 左内】は、江戸時代末期(幕末)の志士、思想家、越前国福井藩藩士。 号は景岳。諱は綱紀。著書に15歳の時に志を記した『啓発録』(1848年)がある。 【啓発録】は後の世の【立志式】の元となりました。 心友の【西郷隆盛】は【橋本左内】の手紙を亡くなった時、肌身離さず大切に持っていたのは有名な逸話です。