緒方洪庵先生は、橋本左内のことを「地中の蚊龍」(こうりょう)と高く評価していました。

左内は蘭学者で医師の緒方洪庵がその天才ぶりを池中の蚊龍(こうりょう)と呼んだ若者である。医学に止まらず政治、経済、国際問題まで明敏な先見性をもっていた。春嶽は左内の能力と気質に惚れこみ、西洋文明をとりいれた兵制の改革、物産の開発、藩士教育、など藩政の改革に夢を馳せていた。


【橋本左内】先生の【ホームページ】

【橋本 左内】は、江戸時代末期(幕末)の志士、思想家、越前国福井藩藩士。 号は景岳。諱は綱紀。著書に15歳の時に志を記した『啓発録』(1848年)がある。 【啓発録】は後の世の【立志式】の元となりました。 心友の【西郷隆盛】は【橋本左内】の手紙を亡くなった時、肌身離さず大切に持っていたのは有名な逸話です。