橋本左内 の 身長は 身長151・5センチ

橋本左内 の 身長は 身長151・5センチ。

子どもたちの健やかな成長を願い、福井県福井市の県護国神社は、同社祭神で福井藩士の橋本左内の等身大の肖像画と身長を測ることができる目盛りが彫られた「背のび石」を境内に建立した。左内の命日の7日、除幕式が行われ、早速、子どもたちが左内と背比べをし成長を誓っていた。

 同社の鎮座70周年を記念して、福井西ロータリークラブ(RC)の寄付を受け建立した。

 「背のび石」は黒御影石製で高さ175センチ、幅100センチ。中央に身長151・5センチの左内の全身像が彫られ、175センチまで身長を測ることができるよう目盛りを刻んだ。

 今年4月には、強い心を表すシンボルとして、左内の座右の銘にちなみ「急流中底之柱(きゅうりゅうちゅうていのちゅう)」と名付けた高さ10・7メートルの木柱を境内に設置。背のび石と合わせて、心身共に健やかな子どもたちの成長への願いを込めた。

 式には、生誕地の春山地区や同RC関係者、市内のボーイスカウトの児童ら約40人が参加。宮川脩宮司が「背を測りながら家族が語り合ったり、偉大な功績を残した左内先生を知ることで、子どもたちに夢を持ってもらえれば」とあいさつした。

 除幕後は、ボーイスカウトの児童たちが早速、背比べ。身長136センチの橋本奈知君(中藤小3年)は「今は小さいけど、身長も中身も左内先生を越えられるよう頑張りたい」と力強く話していた。


【橋本左内】先生の【ホームページ】

【橋本 左内】は、江戸時代末期(幕末)の志士、思想家、越前国福井藩藩士。 号は景岳。諱は綱紀。著書に15歳の時に志を記した『啓発録』(1848年)がある。 【啓発録】は後の世の【立志式】の元となりました。 心友の【西郷隆盛】は【橋本左内】の手紙を亡くなった時、肌身離さず大切に持っていたのは有名な逸話です。